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      <title>Smilys</title>
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      <description>特に英語圏のもの大募集！</description>
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         <title>むなしさを抱えて　4</title>
         <description>「過去のわたしは、逃げていました。


ほかの友達や子どもたちから逃げていたんです。


でも、孤立しても解決になりません。


今回は、とにかく逃げずに関わってみるつもりです。


危険を冒すつもりです」


・・・彼女はずっと、子どもと接することをためらっていました。


まず、女性指導員になることで様子を見ることにしたのです。


やってみて、楽しいと思いました。


いまでは、友人の赤ちゃんと親しく関わるという危険を冒す用意ができています。


その関係は必ずや、さらに大きな喜びをもたらしてくれるでしょう。



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         <pubDate>Fri, 04 May 2012 15:05:07 +0900</pubDate>
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         <title>むなしさを抱えて　3</title>
         <description>「わたしも少し心を開いてその愛情を受け取ると、気分がよくなります。


その子とわたしは助け合っているんだ、と気づきました。


わたしの問題を克服する道は、気分がよくなることを具体的に実践することだとますます思うようになりました。


例えば、彼女と一緒にいたくない時でも一緒にいるというように・・・。


初めのうち、その子と別れたあと、その子のお母さんに嫉妬して、そんな自分を悲しんたものです。


&quot;こんなことをしたって、子どもがいないという事実は変わらない&quot;と思いました。


でも、そのあと、これはまったく違う経験で、あるがままの状態を楽しめばいいんだと気づきました。


わたしの大親友がもうすぐ出産するんですが、彼女はわたしに積極的に赤ちゃんと関わってほしいといってます。


親しく関わることの危険を考えると怖くなります。


彼女たちが引っ越してしまったらどうなるのかって。」

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         <pubDate>Tue, 10 Apr 2012 15:04:36 +0900</pubDate>
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         <title>むなしさを抱えて　2</title>
         <description>「わたしが担当している女の子は10歳です。


わたしの子どもとしたかったことをその子と一緒にしています。


映画に連れていったり、学校のことを質間したりするんです。


その子と関わったのはわたしにとっていいことでした。


おかげで、救われました。


週に一度その子と出かけていますが、いざ出かけるとなると、行きたくなくなることがしょっちゅうあります。


不思議と、抵抗を感じるんです。


でも、いまでは、屈しちゃいけないとわかっています。


無理に出かけて、やっぱり出かけてよかったと思いますから。


・・・その子はわたしに慣れたら、オープンになって、とても優しくなりました。」


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         <pubDate>Thu, 08 Mar 2012 15:03:53 +0900</pubDate>
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         <title>むなしさを抱えて</title>
         <description>ある女性の子ども時代は、母親が精神分裂病で州立精神病院に長期間入院していたため、ひどく混乱していました。


母が入院するたびに、彼女は違う親戚のもとに送られました。


子ども時代にそういうことを経験したので、自分が母親になることにはためらいがあります。


子どもと固いきずなを結び、子どもの面倒を見る能力が自分にあるかどうかわからないからです。


「一度セラピストに


&quot;すべてか無か、にする必要があるんですか？その中間はないんですか？&quot;


・・・ときかれました。


・・・で、それについて考えました。


ボランティアの女性指導員になったらどうかと、この数年考えていました。


去年までは実行できませんでしたが、それで子どもがいない虚しさを埋めようとしないかぎりは、大丈夫かもしれないと思いました。」


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         <pubDate>Thu, 23 Feb 2012 15:02:51 +0900</pubDate>
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         <title>世界最大の債務国　2</title>
         <description>財政は悪化の一途・・・


貿易は改善も88年大統領選直前の財務省発表では、88会計年度(87年10月～88年9月)の財政赤字は1551億200万ドル、前年度比3・6%増となりました。


87会計年度は3年振りに赤字が減少しましたが、88年度は途中で社会保障費を追加したことなどが響きました。


また、商務省のオートナー次官(当時)発言によると88年の貿易赤字は1350～1400億ドルで、89年は1100億ドルまで低下します。


・・・しかし、対外債務利払いの増加から貿易外収支が赤宇に転落、経常収支の赤字幅は百億ドル程度の減少にとどまるといいます。


こうした赤字は何で埋められたか・・・。


外国からの資金の流入です。

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         <pubDate>Mon, 30 Jan 2012 14:57:27 +0900</pubDate>
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         <title>世界最大の債務国</title>
         <description>レーガノミックスの「功」が物価、雇用、景気とすれば、「罪」は財政と貿易であることはほぼ定着した見方でしょう。


財政と貿易の双方に生じた「双子の赤字」はレーガン政権第一期の後半から急速に拡大していきます。


家計にたとえれば、サラ金地獄の様相です。


81年度(会計年度10月～翌年9月)に789億ドルだった財政赤字は82年度1279億ドルに膨らみ、83年度2078億ドル、以後は毎年度2000億ドル前後の赤字が続きます。


貿易赤字はやや遅れて膨張しました。


81年以降の毎年の赤字幅は、346億ドル、384億ドル、642億ドル・・・・


そして84年にはついに1223億ドルと大台を突破。


以後、1300億ドル、1500億ドル。


87年には1703億ドルを記録しています。

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         <pubDate>Wed, 21 Dec 2011 14:56:04 +0900</pubDate>
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         <title>サプライサイド・エコノミックス</title>
         <description>次に暗雲が立ち始めた第2期レーガン政権の「世界最大の債務国」への道のりを振り返ってみましょう。


74年、ワシントンのあるレストランで政府関係者と話し込んでいたA・ラッファー・南カリフォルニア大教授は突然、紙ナプキンに奇妙な曲線を描きました。


のちに伝説化され、減税キャンペーンの象徴となる「ラッファー・カーブ」の誕生でした。


この曲線は税収と税率の関係を単純化して示しました。


ある納税者(または企業)が働いたり投資する意欲をかきたてられるには、累進税率が妥当な緩やかな傾きでなければなりません。


仮に収入増への努力に心理的なブレーキが掛かるほどの高税率では誰も働こうとせずに税収も落ち込む、との考え方です。


一見なんの変哲もない曲線が、当時の経済状況の中で極めて政治的な意味を持ち始めました。


「現在の税率は高過ぎ、勤労意欲をそぐだけでなく、貯蓄・投資への資金配分を減らしている」


・・・・との認識から、大胆な減税要求に結び付いていくのです。


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         <pubDate>Tue, 15 Nov 2011 14:54:14 +0900</pubDate>
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         <title>急速な好況とレーガン再選</title>
         <description>83年、アメリカの景気は劇的に改善に向かいます。


力強い上昇の背景にあったのは住宅と設備投資。


自動車など耐久消費財の売れ行きも伸びました。


金利低下と減税の効果が十分に発揮されたといえるでしょう。


そして失業率と物価は低めで安定しました。


レーガン大統領はこうした好循環に支えられて84年に再選されます。


「アメリカは立ち直った」と唱える共和党に対し、民主党はほとんど付け入るスキがなかったと言ってもいいでしょう。


僅かにカゲリと見倣されたのが、「双子の赤字」の増大でした。


再選以降のレーガノミックスは88年選挙に至るまで物価、失業など景気面で成功する一方、通商と財政は慢性疾患に悩まされます。


また景気対策もファイン・チューニング(微調整)と称せられたポルカーFRB議長の手腕によるところが大きく、レーガノミックス本来の理論が成功したわけではありません。


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         <pubDate>Mon, 03 Oct 2011 14:52:59 +0900</pubDate>
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         <title>中国への取材</title>
         <description>当時、天安門事件以降の最新ルポをめざす外国人記者はたくさんいました。


記者らは、あまりにも少なすぎる情報と、あまりにも厚すぎる取材の壁に苛立ちを募らせる毎日に追われていました。


「東方に社会主義の大国あり」


中国共産党の中枢に迫ることは簡単なことではありません。


「保守派（計画経済派）対改革開放派の権力抗争」


「中央対地方の衝突」


「天安門事件後の市民生活」


「冷戦後の中国の世界戦略」・・・


外国人記者たちの知りたいことは山ほどあったのです。


党中央、上海市人民政府、広東省はじめ中共中央党校、人民日報社、中国現代国際関係研究所などに真っ向からぶつかるべく、交渉をしていました。


これだけの国家中枢の主要機関が、しかもまとめて首座に応じてくれるとなれば、これは西側報道陣にとって一大スクープとなります。


しかし、ちょうどこの時期は社会主義堅持を唱える政治の引き締めとイデオロギー教育強化の真っ只中で、取材許可はなかなか下りませんでした。


「知るは理解に通じ、知らぬは誤解につながります。


必要なのは可能なかぎり実情を紹介することです。」


日本人記者らは取材に先立つ事前交渉の場で、取材現場で、何度も訴え続けました。


それに対して、関係当局からはいつも判で押したような忠告が返ってきたそうです。


「真理だけを伝えることです。


真理はひとつだけです。


その真理とは社会主義の優位性と正さです。


それが歴史の必然なのです。」


・・・その真理とは絶対のものなのか、何をもって真理とし、それを12億もの民に信奉させることが出来るのか、その政治力学と時代感覚こそ、世界中の人々が知りたいことなのです。


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         <pubDate>Sat, 24 Sep 2011 11:34:53 +0900</pubDate>
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         <title>インテリアコーディネイトのポイント　2</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://temponotatsujin.jp/" target="_blank">かくれん棒</a>などの照明はクリスタルを中心に、フロアスタンドやテーブルスタンドを使い、温かみのあるくつろいだ雰囲気をつくりましょう。


全体をフォーマルにまとめるためには、室内のすべてのものに神経を配り、優雅な美しさのバランスをくずさないように注意することが必要です。


特に暖炉を中心にキャビネットやサイドテーブル、椅子などの家具と、スタンド、絵などの小物が雰囲気づくりに重要なポイントになります。


なお家具を求めるときは、部屋の広さや天井の高さをよく考えて、家具の大きさを決めることが大切です。


3カントリースタイル上流社会に生まれたクラシックスタイルに対し、各地方の庶民生活から生まれた簡素で頑丈な家具がカントリースタイルです。


代表的なものとしては、アメリカの開拓生活のなかから生まれたアーリー・アメリカンスタイルや、イギリスのウィンザー地方で生まれたウィンザースタイルなどがあります。


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         <pubDate>Wed, 03 Aug 2011 11:27:17 +0900</pubDate>
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         <title>インテリアコーディネイトのポイント</title>
         <description><![CDATA[クラシックスタイルのインテリアはエレガントで落ち着いた雰囲気づくりが大切です。


家具は同じスタイルのものですべて統一しなければいけないというわけではありません。


まず飾り棚とか、肘掛け椅子とか、部屋のポイントになる家具をひとつ決め、それに合った家具や、カーテン、<a href="http://temponotatsujin.jp/" target="_blank">かくれん棒</a>などの照明、イスの張り地、クッション、タペストリーでコーディネイトします。


時代は違っていても色味が似ているとか、スタイル、材質、サイズ、デザインなどいずれかの要素をそろえることで統一した雰囲気が生まれます。


家具の素材はマホガニー、ローズウッド、ウォールナットなどの木材で、表面を上品な光沢でていねいに仕上げられたものを選びます。


カーテンや椅子の張り地、クッションなどのファブリック類は、シルクやベルベット、タフタ、プロケードなどを。


カーテンは布地をたっぷりとって大きくひだを寄せたゆったりとしたものが似合います。


床は大理石や木目の美しい寄木張りのフローリングなどを用いると、しっくりとまとまります。

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         <pubDate>Sat, 09 Jul 2011 11:26:51 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title></title>
         <description><![CDATA[『倭訓栞』は式神の出自について別の説を引いています。


すなわち、「実は人形の識神にて、巫盤の妖術なりといえり。(略)古記に式に厭著などというも身の代の人形より起るともいえり」とある。


身の代の人形とは、祓えなどで人の罪汚れを移して流す人形のことです。


木製や金属製のほか、紙や藁の人形が使われたことが、遺物や文献からわかっています。


人形としての式神という説から連想されるのが、高知県の民間呪術者集団「いざなぎ流陰陽道」の式神(式王子)の術です。


彼らは式神を人に愚けることを平安時代ふうに「式を打つ」といいます。


「伝承によれば、大昔の祈疇師たちは『法競べ』と称して剣術の真剣試合のごとく、互いに式を打ち合って呪術を競ったといいます。その時、両者の『式王子』すなわち『式人形』(式王子の幣)が、空中に飛んで激しく争ったといわれる」(小松醸霊信仰論』)。


余談ですが、世の中には色々な占いがありますよね、<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">電話占いならココ</a>だと言うところに行ってみたいですね～。

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         <pubDate>Tue, 28 Jun 2011 15:07:08 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>時代性との合致</title>
         <description><![CDATA[思えば『スパイダーマン』の特報は、世界貿易センタービルに巨大な蜘蛛の巣を張り、悪漢のヘリを搦め捕るというものだった。


9・11テロがその無邪気な特報をお蔵入りに追い込んだ結果、作中においても数ヵ所の修正を余儀なくされ、完成が遅れる羽目になったとも聞く。


そういう意味では、本作はあらかじめ時代との因縁をもって生まれてきたのかもしれない。


あるいは、時代の要請に従って生まれたと言うべきか。


狙って狙えるものではなく、時代性との合致はえてしてこのように起こる。


ようは、時代に呼応するクリエイターの感性をいかに取りこぼさず、フィルムに定着させ得るかが映画製作者に求められる資質なのだが、これができる者は少ない。


その点、才能に恵まれたばかりか、それを掬い取る製作体制にも恵まれたサム・ライミ監督は、実に幸運だったと言えるでしょう。


本作をステップに、より高度な『2』に踏み込むことができたのだから。


ところで、話はそれますが、最近、<a href="http://www.rental-station.jp/" target="_blank">ビデオカメラ レンタル</a>にはまっています。


今は何でもレンタルがありますね～。

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         <pubDate>Sat, 18 Jun 2011 14:25:10 +0900</pubDate>
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         <title>株式市場に当局介入　4</title>
         <description>「しかし、この先いくら保守派の力が強くなっても、経済が自由化に向かうことを止あることは不可能でしょう」。


・・・政府の強い指導と管理の下で始まった上海・浦東開発。


計画経済をめざす政府と市場経済を求める市民の間には、株をめぐって大きな溝ができはじめています。


計画経済と市場経済を結びつけた新しい経済システムの確立は可能なのか、上海はその行方を占う実験の場なのです。


「わが国は特色ある道を歩んできたからこそ世界の東方に社会主義・中国を毅然とそびえ立たせてきた。」


・・・李首相（当時）は1991年の全国人民代表大会で胸をはってこう宣言しました。


ユーラシア大陸の反対側で政治・経済両面にわたって開放を急いだ結果、混迷の度合いを強めているソ連（当時）・東欧の苦悩ぶりを見据えた上で、中国独自の道にあらためて自信のほどを示したのです。


冷戦後、そして湾岸戦争後の激動の世界・・・。


この時代、アジアの安定と平和に果たす中国の役割と影響力は大きなものでした。


そして中国共産党に対して、特色ある社会主義の道とは何なのか・・・


そしてそれは実現可能なのか・・・


そして中国はこの独自の道で混沌の時代をどう切り開いていくことが出来るのか・・・


それは、逆に世界の潮流から取り残されていく危険性をはらんでいるのではないか、と誰もが感じていました。


そしてその通りになったのです。


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         <pubDate>Mon, 06 Jun 2011 11:27:53 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>株式市場に当局介入　3</title>
         <description>「政府は、われわれがやっているのは社会主義の株だと言う。


社会主義の株っていったい何なんだ。


儲からない株のことかい。


俺たちは社会主義でも資本主義でもどちらでもいいんだ。


自由に株をやりたいだけなんだ」。


・・・今回の取材の中でこれだけ激しく政府を批判する市民の姿を見たのは、この日が最初で最後でした。


テレビカメラの前で政府批判をすることは中国では危険なことです。


・・・にもかかわらず、こうした発言が飛び出したのはよほど腹に据えかねていたに違いないでしょう。


香港の雑誌『90年代』の李編集長は、現在の上海の状況を次のように分析しています。


「もともと上海の浦東開発計画は北京の保守派、つまり計画経済派が考え出したプロジェクトです。


上海に計画経済を中心とする一大経済圏をつくり上げ、市場経済で動きはじめている広東省の力を抑えようという狙いがあったんです。


ですから株式市場についても、市場原理に任せることは最初から考えていなかったのです」。

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         <pubDate>Sat, 21 May 2011 11:26:54 +0900</pubDate>
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