当時、天安門事件以降の最新ルポをめざす外国人記者はたくさんいました。
記者らは、あまりにも少なすぎる情報と、あまりにも厚すぎる取材の壁に苛立ちを募らせる毎日に追われていました。
「東方に社会主義の大国あり」
中国共産党の中枢に迫ることは簡単なことではありません。
「保守派(計画経済派)対改革開放派の権力抗争」
「中央対地方の衝突」
「天安門事件後の市民生活」
「冷戦後の中国の世界戦略」・・・
外国人記者たちの知りたいことは山ほどあったのです。
党中央、上海市人民政府、広東省はじめ中共中央党校、人民日報社、中国現代国際関係研究所などに真っ向からぶつかるべく、交渉をしていました。
これだけの国家中枢の主要機関が、しかもまとめて首座に応じてくれるとなれば、これは西側報道陣にとって一大スクープとなります。
しかし、ちょうどこの時期は社会主義堅持を唱える政治の引き締めとイデオロギー教育強化の真っ只中で、取材許可はなかなか下りませんでした。
「知るは理解に通じ、知らぬは誤解につながります。
必要なのは可能なかぎり実情を紹介することです。」
日本人記者らは取材に先立つ事前交渉の場で、取材現場で、何度も訴え続けました。
それに対して、関係当局からはいつも判で押したような忠告が返ってきたそうです。
「真理だけを伝えることです。
真理はひとつだけです。
その真理とは社会主義の優位性と正さです。
それが歴史の必然なのです。」
・・・その真理とは絶対のものなのか、何をもって真理とし、それを12億もの民に信奉させることが出来るのか、その政治力学と時代感覚こそ、世界中の人々が知りたいことなのです。